マカオのカジノ王スタンレー・ホー偉大な功労者の波乱に満ちた生涯

 
 
 
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香港セレブのスタンレー・ホー氏が26日、亡くなりました。98歳でした。

リスボアホテルオーナーとしてマカオのカジノの礎を作り、マカオ経済に大いに貢献した方でした。

スタンレー・ホー氏は、マカオ最後のカジノ王と呼ばれます。

彼の生涯についてまとめました。

 

※情報は2020年5月29日現在のものです。1HKD(香港ドル)=約14円

 

 

マカオを国際カジノ 都市にした男

マカオ リスボア スタンレーホー

 

それまで青空賭博同然だったマカオの鉄火場を見たスタンレー・ホー氏は、古い賭博業を大胆に変え、新しいカジノを創り出さねばと決意して、ラスベガスとモナコに学びました。

 

進化するリスボア

「鳥かご」と呼ばれるリスボアホテルと、「ラスボス」と称されるグランドリスボアホテルはマカオを代表するランドマークです。

コタイ地区には、グランドリスボアパレスという新しい大型カジノリゾートを建設中で、まだまだ進化が止まりません。

新しいリゾートには、ベルサーチホテルや、カール・ラガーフェルドホテルが入る予定です。

このほか、マカオタワーや香港マカオフェリーターミナルを経営しており、スタンレー・ホー氏は、新しいマカオの立役者でした。

 

 

マカオタワーはNZで見つけた

スタンレー・ホー氏がニュージーランドのオークランドを訪れた際、観光名所のスカイタワーを見ました。

「あれと同じものがマカオに欲しい」

といい、建築家を呼んで造らせたのがマカオタワーです。

 

マカオタワーには、ホーさんのお気に入りだった軽井沢のミカドコーヒーのコーヒーとソフトクリームを提供するレストランを開業しました。

現在は4階のCafe on 4でミカドコーヒーが楽しめます。

 

 

 

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マカオのインフラ設備に尽力

スタンレー・ホー氏は、マカオフェリーターミナルを始め、ヘリポートやマカオ空港などの建設に出資して、マカオに多くの人が来やすくなるよう力を注ぎました。

昔は香港マカオ間を行くのに船で2~3時間かかりましたが、たゆまぬ企業努力の結果、今ではたったの1時間、しかも24時間運航するようになりました。

 

イケメンでモテモテ

 
 
 
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西洋の血が混じったハンサムなスタンレー氏は、スタイルも良くおしゃれで、とてもモテた人です。

頭も切れ、大富豪でもある彼には、たくさんの子どもたちがいます。

 

遺産相続が気になる?

そうですね、入院が長かったので準備は万端にされていたはずですが、数年前から相続争いが話題になっていました。

11年入退院を繰り返していた香港の病院では、10億HKD(約140億円)を費やしたそうです。

 

4人の奥さんと16人の子どもたち

 
 
 
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80年代頃までは、法律で複数の奥さんを持つことが許されていました。

2人目の奥さんまでは籍が入っていますが、それ以降は内縁の妻という形です。

ちなみに第2夫人のお嬢さんのパンシー・ホーさんと、第4夫人のアンジェラ・リョンさんはアラフィフで同世代です。

 

1人目の奥さんはポルトガル系で、マカオのポルトガル人社会で人脈を広げるのになくてはならない存在でした。

この方は病気で亡くなり、子供の1人は事故で亡くなっています。

 

2人目は日中戦争に参加した軍人の娘です。

この奥さんとの子どもに、

MGMマカオのオーナー、パンシー・ホーや、

シティ・オブ・ドリームスやスタジオシティのオーナーのローレンス・ホー、

ロック歌手で女優のジョシー・ホーなどがいます。

ローレンス・ホーさんは、横浜マリノスのスポンサーであるメルコリゾーツのオーナーとして、日本でも有名ですね。

サッカーファンなら、ご存じの方もおられるのではないでしょうか。

 

3人目は看護師で、彼が入院した際にかいがいしくお世話をした白衣の天使でした。

 

4人目は、元社交ダンサーで実業家・政治家として活躍中のアンジェラ・リョンです。

彼女の子どもたちはまだ若く、末っ子は21歳です。

 

 

華やかな生い立ち

マカオ スタンレーホー リスボア

 

香港セレブのロバート・ホー・トン卿を大叔父に持つスタンレー・ホー氏は、お金持ちの家に生まれました。

映画スターのブルース・リーは、彼のまたいとこに当たります。

おじいさんが香港・スタンレーに別荘を購入した頃に生まれたため、スタンレーと名付けられたそうです。

 

波乱に満ちた青年時代

スタンレーホー マカオ カジノ王

 

彼の生活はある日を境に一変します。

父親が株で大損を出し、気に入っていた長男長女だけを連れて、ベトナムへ蒸発してしまったのです。

スタンレー少年は奨学金を受け、香港大学に通い4か国語を学びますが、第二次世界大戦のため、マカオに渡ることを余儀なくされました。

 

広東語、英語、日本語、ポルトガル語を操る才能豊かなスタンレー青年ですが、マカオに渡って来た時にはわずか10香港ドルしか持っていませんでした。

マカオへ渡る前の晩、彼は叔父さんと一緒に食事をした際、あるアドバイスを受けました。

「1つ、よく働くこと。2つ、手に入れた金を大事にすること。」

2つの言葉と10香港ドルから手に入れたマカオドリームは、後に人々の間で語り継がれることになります。

 

マカオで成功しカジノ王になるまで

マカオ カジノ王 スタンレーホー

マカオでスタンレー青年が働き始めたのは、日本の貿易会社でした。

得意の語学力と地頭の良さをいかして、めきめき頭角を現しました。

 

貿易会社での武勇伝

若くして船を任されたスタンレー青年でしたが、当時マカオ近海にはまだ海賊が出没していました。

ある日彼の30万ドルを積んだ船が、海賊に襲われます。

現金は奪われたものの、機転を利かせて逃げ出し、命拾いしたのでした。

その後間もなく、香港のイギリススパイ救出大作戦に成功し、力量を買われて出世することになります。

 

青年実業家からカジノ王へ

貿易局の主任として働きながら、スタンレー氏は最初の会社となる石油精製工場を設立しました。

戦争での特需に乗り、よく働いた彼は1年間で100万ポルトガルドルを手に入れます。

しかしそれがマカオのやくざに目を付けられることとなり、ついには殺害予告をされたため、彼は家族を連れてマカオを離れることとなりました。

 

ほとぼりが冷めるまで、10年間マカオを離れていたスタンレー氏ですが、マカオに戻ってから歴代3人目となるカジノ経営権の独占に乗り出します。

その後2001年にカジノ経営権が開放されてからは、独占は崩れたものの存在感は勢いを増しています。

 

波乱万丈な半生は映画や本に

 
 
 
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1992年には、スタンレー・ホー氏の青年時代とカジノ王時代を描いた「アンディ・ラウのカジノタイクーン」という映画が公開されました。

香港四天王のアンディ・ラウが、知性と度胸、努力でカジノ王になったスタンレー・ホー氏を見事演じています。

今Netflixで配信中なので、興味のある方はチェックしてみてくださいね。

 

また書籍では「ゴッドギャンブラーマカオカジノ王スタンレー・ホー」という伝記が出版されています。

ホーさん自身は、あまり賭け事は好きではなかったみたいですけどね。

 

アンディ・ラウのカジノタイクーン [DVD]

 

ジョイ・ウォン『アンディ・ラウ/カジノタイクーン』(1992年)ポスター

 

ゴッドギャンブラー(第二版)

 

マカオの1つの歴史が幕を閉じた

スタンレー・ホー氏は、マカオが世界一のカジノの街になるきっかけを作った人です。

彼がいなければ、現在のマカオはなかったといっても過言ではないでしょう。

冥福を祈り、新しいグランド・リスボア・パレスの完成を心待ちにしたいと思います

 

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